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「カラル遺跡」

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2008/5/6の中日新聞に「カラル遺跡」の記事が出ていました。

世界四大文明をくつがえす『カラル遺跡』(caral)ということで、5000年以上前に隆盛を極めていた文明だと紹介されていました。

私たちが習った最古の文明は、

シュメール(Sumer, Shumer, Sumeria, Shinar)は、メソポタミア(現在のイラク)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。シュメールの楔形文字が使われ始めたのは紀元前3500年頃とされており、書かれた物としては最も初期のものだと思われる。

しかし、世界の色々な報道を見ていると
年代測定法で測られた10000年前までぐらいのものは、結構あるように思います。

このペルーの「カラル遺跡」も5600年前が最盛期だということだが、ペルーにはもっと古い文明があるのではないか。7000年前とか。ペルーには、10000年ぐらい前から、文明の走りがあったのではないかと容易に想像できるのではないでしょうか。

http://www.brasil.co.jp/package/gallery/caral2/gallery.html

新発見!世界四大文明をくつがえす『カラル遺跡』(caral)

 『カラル遺跡』はリマから北に200Kの中央高原にあり、今から100年前の1905年に発見されましたが、年代測定などの綿密な調査が行われなかったため、今日まで発表されませんでした。

 2001年、アメリカとペルーの合同調査団による発掘調査で『カラル遺跡』は南北アメリカ大陸で最も古い古代都市遺跡であることが確認され、さらに発見された植物の炭素年代測定した結果、最大紀元前2627年(4600年前)の物であることが判明しました。

 4600年前と言えば、エジプトに統一国家が誕生した頃と時を同じくすることになります。そうであれば『カラル遺跡』は間違いなく世界最古の文明の一つと言え、『カラル遺跡』をのけものにして世界四大文明とは言えないでしょう(世界四大文明、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河)『カラル遺跡』はペルー文明を含めた世界五大文明がたまたま同時代に起こっていたのでしょうか。

 『カラル遺跡』は、全部で32ある城壁と階段状のピラミット群が見もので、大きい物は高さ20Mぐらいあります。これらの遺跡を考古学と言う専門的ではなく、一人の旅人として古代アンデス文明の謎に迫ってみませんか?神秘なインカの世界を現代に甦らせるロマンのステージ、ペルー。

 現在、考古学者以外はまだ誰も訪れていないカラル遺跡を、今回、天野博物館の全面的な協力を得て見学できる、世界で始めてのツアーが実現しました。

BSプライムタイム  「ペルー 謎のピラミッド」  04年02月19日  後10・00~10・50  放映

 近年ペルーのある遺跡が考古学の注目を集めている。首都・リマから北へ約200キロのところにあるカラル(Caral)遺跡がそれである。ピラミッドを戴くこの都市遺跡は、近年の調査によると、エジプトのピラミッドと同時代もしくはそれよりも古い可能性があるというのだ。

 カラル遺跡自体は、以前から知られていたが、注目を浴びることはこれまでなかった。しかし近年の再調査により状況は一変する。この遺跡で出土したカゴを分析すると、今から約5,000年以上前の紀元前2,600年のものであることが分かり、さらに次々と不思議な発見が続く。海岸から30キロ以上も離れたこの地で、イワシを食べた形跡。320キロも離れた土地でしか取れないはずの植物の粉。そして至るところで見つかる綿繊維とワタの種。

 これまでは都市形成には戦争が大きな影響を与えてきたという説が有力であったが、この遺跡では戦争の跡どころか武器すらも見つからない。これらが示すものは何なのか?土器の使用も、鉄器の使用の形跡さえないこの町で は、どのような暮らしがされていたのか?この都市は、どのように形成されたのか?そして、そこに住む人々はどのような暮らしをしていたのか?番組では、遺物、生活 跡などを最新の科学技術で分析し、これらの謎を明らかにしていく。

[原 題] The Lost Pyramids of Caral [制 作] イギリス 2002年 BBC

http://www.y-asakawa.com/peru%202006/carar-1.htm

天野博物館の坂根博・学芸主任の案内でカラル(Caral)遺跡を訪ねた。リマから車でパン・アメリカン・ハイウエイを3時間ほど走ったあと、砂漠の中に入り、デコボコ道を1時間ほど走るとカラル遺跡に着く。

この遺跡は、日本ではあまり知られていないが、今から10年ほど前に発見されたもので、従来の考古学的歴史観を根底から覆す注目の遺跡である。現在ペルーの考古学者によって発掘が進められている。従来の考古学では、紀元前1000年頃に発達したしたチャビン文明がペルーにおける文明の始まりとされてきていた。現に、今でもその考えにとらわれている学者は多いようだ。

しかし、このカラル遺跡はそれより遙かに古く、紀元前2600~2800年 頃の遺跡である。さらに驚くのは、周辺の砂漠一帯に広がる広大な都市跡からは、9つのピラミッド群が発見されており、それらのピラミッドには石が使われていることである。この点もまた、従来のペルーの歴史観を根底から覆すものであった。というのは、これまで発見されているピラミッドは、それより3000年も後の時代、紀元後100~500年頃に栄えたモチーカ文明やナスカ文明のもので、それらのピラミットは日干しレンガを積み重ねて造られているからある。

カラル遺跡のピラミッドに使われている石は、エジプトの三大ピラミットやマヤのピラミット群のような長方形に刻まれた大きな石ではないが、それでも個々の石の大きさは4~50センチはあり、ピラミットの四面体の角 などには、1メートルを超す大きな石も使われている。中でもカラル遺跡最大のピラミットの一角には2メートル近い巨石が使われている。ピラミットに限らず巨大な建造物を丈夫で長持ちさせるには、「日干しレンガ」と「石」とどちらが適しているかといえば、言うまでもなく後者に決まっている。だから石で作るに越したことはないのだが、石の建造物を造るには切り出した大量の重い石を建造現場に運ぶ作業、それらを正確かつ頑丈に積み上げている技術が不可欠である。そう考えると、構造、耐震性に優れた石のピラミッドの方が、レンガ造りのそれに比べて遙かに高度の技術が求められることは間違いない。

だからこれまでの考古学の常識からすると、石を使ったカラル遺跡と日干し レンガのモチーカ遺跡やカワチ遺跡では、当然カラル遺跡の方が新しい時代(後代)の建造物ということになってくる。ところが、カラル遺跡の実態が明らかになるにつれ、その考えが根底から覆されることになったのだ。それは、石を詰めた「シクラ」と呼ばれるアシなどの植物繊維で作られた袋状のネットが発見され、その年代鑑定からカラル遺跡がモチーカやカワチ遺跡に比べて3000年も古いことが確かめられたからである。だから今でもペルーの考古学者たちは、この逆転現象が説明できずにとまどっており、中にはカラル遺跡の年代に疑問を抱いている学者もいるのだ。

紀元前2000年から3000年代の大型の石造建造物といえば、メソポタミアのジグラットやエジプトのピラミット群を思い出す。しかし、三大ピラミットは私が主張するように失われた先史文明の遺物痕跡だとすると、他のピラミッドは紀元前2000年代以降の建造物ということになってくる。マヤのピラミッドも現在までに発見されているいるものは、どれも紀元後のものである。そう考えると、カラル遺跡に散在するピラミット群は我々の知る歴史観からすると史上最初にして最大のピラミットということになり、その都市の大きさからして世界的な大発見として評価されてしかるべきものとなってくる。

この遺跡の今一つの注目点は、近くに流れているスベ河は小さな流れで、決して大河ではないという点である。我々が教えられてきた歴史では、世界の4大文明、つまりエジプト、インダス、メソポタミア、中国の歴史はすべてナイル、インダス、チグリス・ユーフラテス、黄河といった大河のほとりに発生したとされてきた。ところが、4大文明と並ぶと思われれるこの都市周辺にはそんな大河は流れていないのである。

ということは、従来の文明発生の歴史観を変えなければならなくなってくる。それゆえに多くの考古学者が注目していながらも、未だにその年代や都市の大きさに疑念を抱いているのである。

http://www.ailab7.com:80/choukodai.html

はじめに  超古代文明は海底に眠る

二〇〇二年一月一七日、大きな見出しが読売・毎日・東京・日本経済新聞などを飾った。

「インド西部世界最古の都市発見 九五〇〇年前の遺跡と測定 政府発表」

ご覧になった方も多いと思うが、主な内容はこうだ。

「発表したのはインドのジヨシ科学技術相で、インド西部グジャラート沖のカンベイ湾海底で九五〇〇年前のものと見られる古代都市の遺跡が見つかった。発見されたのはつぼの破片、人骨の化石、建築に使われていたと見られる資材などで、木片の年代測定から紀元前七五〇〇年前(今から九五〇〇年前)ごろのものと判明した」

文明は、今から五〇〇〇年前に、世界の大河のほとりに同時発生的に生まれた、と私たちは学校で教わっている。それよりはるか昔の二倍も古い時代に文明の代名詞ともいうべき都市があったなどとは、考えられない。しかも海の底に・・・。この新聞記事は全くまちがいないのだろうか?

実はそうではない。単に、現在の歴史学という学間の枠から見ているために判定不能であるにすぎない。目を転じて自然科学の観点から見ると、ひとつの明確な解答が出ているのである。

「数千年より前の大規模な遺跡というのは、今は海底にある。海面変動で沈んでいるからだ」(奈須紀幸・元東京大学海洋研究所所長の言葉本文七三ぺー-ジより)

すなわち、九五〇〇年前の遺跡なら、海面下にあって当然なのである。この点をもう少し詳しく説明しよう。

 自然科学、とくに、古気候学、海洋学、地質学によれば、四大文明発生からはるかにさかのぼる、今から二万~数千年前に、地球は実に一〇〇~一二〇メートルに及ぶ、きわめて急激かつ大規模な海面上昇に遭遇したことが、藤井昭二・富山大学名誉教授らはじめ、世界の自然科学者たちの研究によって明らかになっている。現在、四大文明と呼ばれているものは、その大規模な海面上昇の終息するころ、たまたま現在の陸地にある大河のほとりに生まれたものに過ぎない。それよりも古い文明すなわち「超古代文明」は、今では、海面下に沈んでいる。こう考えるのである。インドのカンベイ湾の海底遺跡と同じく約一万年前と計測されたわが国沖縄の与那国海底遺跡ひとつを見ても、海面下二〇~四〇メートルにあるが、木村政昭・琉球大学教授を中心とする琉球大学海底調査団による二〇〇二年の最新の調査では、南側に都市状集落の他、道路も確認された。これは、当然のことなのである。

今や、歴史学は、新しい段階に入った。世界各地から、時々報道される「謎の海底遺跡」は、UFO(未確認飛行物体)とは違って、むしろ、ほとんどが本物と考えたほうがまちがいがない。科学が強力に保証しているからである。

注目すべきは、深さ一〇〇メートルまでの大陸棚である(しかも川跡のある)。本文で紹介するように、インドのカンベイ湾の遺跡には、当時の川跡に沿って九キロにわたる市街地跡があるし、英仏海峡には、海面下六〇メートル付近に古ヨーロツパ河と巨大な湖があった。米国フロリダ沖の古オーシラ川から一万三〇〇〇年前の一六〇〇点もの遺物が発見されている。

二一世紀は、四大文明をさらにさかのぼる「超古代文明」を大陸棚に探る「大陸棚考古学(海底考古学)」の時代になるであろう。

          「海に沈んだ超古代文明」講談社クォーク編集部・編より
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■ Re: お尋ねです

> 私は幸福の科学の信者です。
> 間違いはないと思うのですが、信者さんでいらっしゃるんですよね?

今、気がつきました。

はい、そうです。

> もしそうなら、天野博物館の件で、伺いたい事があるのですが。

知りませんでしたが、あなたが、ここで少し研究すれば

古代インカのことがわかるかもしれないと思いました。


パラジウムの錬金術師

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