天国のドラッカーも堤防津波対策の必要性を指摘しているが、この天国の村長もGJだった

2010年6月11日初版発刊 ドラッカー霊言による「国家と経営」-日本再浮上への提言-

179ページから、津波対策を霊言している。

「最近は津波も流行っているので、津波対策の産業もありえましょうね。例えば、港の入り口の海底にフェンスを設置し、津波が来るとなったら、下からガーッと上がってきて津波を防止する。(中略)港の外の海を津波が回っている分には構わないわけですから(中略)土手や堤防などについても、普段は、見晴らしが悪くなるから、今ぐらいの高さでいいかもしれませんが、土手や堤防のなかに鉄か何かの津波除けフェンスを入れておき、津波警報が出たら、自動的にダーッと10メートル、20メートルと上がっていって、津波を除けてしまえばいいでしょう。(中略)インフラは国民を守らないとは言えない。(中略)耐震性の高い高層ビルに対するニーズは、やはり、まだまだすごくある」。


YOMIURI ONLINE 転載:

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00599.htm?from=navr

明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手

津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代(ふだい)村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。

 村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。

 「これがなかったら、みんなの命もなかった」。太田名部(おおたなべ)漁港で飲食店を営む太田定治さん(63)は高さ15・5メートル、全長155メートルの太田名部防潮堤を見上げながら話した。

津波が襲った先月11日、店にいた太田さんは防潮堤に駆け上った。ほどなく巨大な波が港のすべてをのみ込んだが、防潮堤が食い止めてくれた。堤の上には太田さんら港内で働く約100人が避難したが、足もとがぬれることもなかった。

 村は、昆布やワカメの養殖が主な産業の漁村で、人口約3000人は県内の自治体で最も少ない。海に近く狭あいな普代、太田名部両地区に約1500人が暮らし、残る村人は高台で生活している。普代地区でも高さ15・5メートル、全長205メートルの普代水門が津波をはね返した。

 防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。既に一部が完成し60年にチリ地震津波を防ぎ、「万里の長城」と呼ばれた同県宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10メートル)を大きく上回る計画は当初、批判を浴びた。

 村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。

 今回の津波で、宮古市田老地区は防潮堤が波にのまれ、数百人の死者・不明者を出した。岩手県全体で死者・行方不明者は8000人を超えた。

 普代村も防潮堤の外にある6か所の漁港は壊滅状態となり、船の様子を見に行った男性1人が行方不明になっている。深渡宏村長(70)は「先人の津波防災にかける熱意が村民を救った。まず村の完全復旧を急ぎ、沿岸に救いの手を伸ばす」と語った。

(2011年4月3日22時05分 読売新聞)
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