スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「『ティータイム』 あたたかい家庭 幸せのアイデア」

人に優しくしてもらう方法は、

自分が優しくなることです。


愛し合い、誓い合ったときのことを

思い返しましょう。


魂的に、ある程度、

親和性がなければ、

子供として生まれてくることは

できません。


子供時代に受けた心の傷が、

別のかたちで

展開することがあります。


自分が潜在意識(心の奥底)で

何を考えているのかを

知りましょう。


長所と付き合えば、

悪人はいません。


images[1]
スポンサーサイト

「仏陀再誕とマクロスFRONTIER」

マクロスFRONTIERが劇場化されるそうだ。

ウィキによると

マクロスシリーズ生誕25周年記念作品として、河森正治を総監督に迎え制作されたテレビアニメ版マクロスの第3作目。物語の舞台は、超長距離移民船団「マクロス・フロンティア」である。(『マクロスF』の「F」は「FRONTIER」の略である) 物語の年代は『超時空要塞マクロス』から50年後、『マクロス7』から14年後の西暦2059年。シリーズの伝統である主要男女キャラクターの三角関係は本作でも健在で、更に軍人・歌手としての生活を送る一方で、日常では普通の学生として日々を過ごす「学園物」を基本コンセプトに据えている。



美しい映像と魅力のあるキャラクター、そして見事な主題歌と挿入歌。


映画「仏陀再誕」は、マクロスFRONTIERの魅力に迫れるのか。

思想性の高い映画にあらたな魅力が付加されることを期待してみたい。

images[8]

「表面意識と潜在意識を一致させよ」

表面意識では「成功したい」と思っていても、

潜在意識では「やはり失敗するのではないか」

と思っていることがあります。

表面意識と潜在意識が

一致しているか離れているかで、

人生に差が出てくるのです。


『繁栄の法則』第四章


「ノーベル賞受賞 名古屋大記念講演会に行ってきました」

7日に名古屋大でのノーベル賞受賞記念講演会に行ってきました。

中日新聞によると、

ノーベル物理学賞を受賞した高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授の小林誠さん(64)と京都産業大教授の益川敏英さん(69)が7日、母校の名古屋大で記念講演を行い、「小林・益川理論」や理論を考え付いた経緯を語った。質疑では、聴衆1200人のうち3分の1近くを占めた中高生からの質問に時間が割かれた。能弁な益川さんに、慎重に言葉を選ぶ小林さんと、対照的な姿が会場を沸かせた。講演前に名大大学院の山脇幸一、杉山直両教授が解説をした。

小林誠さん講演要旨 クォーク解明、日本の力
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/nobel_lecture/CK2009021102000139.html

益川敏英さん講演要旨 湯川博士にあえて議論
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/nobel_lecture/CK2009021102000144.html

所感は、

物質の構成要素としての素粒子があるが、素粒子は力を担う。それが「電磁気的な力」、「弱い力」「強い力」などであり、素粒子の種類によっては力の働きが違う。素粒子研究は、湯川博士以前より、世界の研究者たちが積み上げたものから、小林・益川両博士の理論は、クォーク6元論を提唱し、「CP対称性の破れ」を数学的に理論証明したそうだ。

粒子と反粒子が発見され、「CP対称性の破れ」は、粒子と反粒子が同数程度存在し、ほんのわずかに粒子の方が多いので、この物質宇宙が存在することを証明する理論であることを説明された。ただし「CP対称性の破れ」のみでは、物質宇宙を解明したことにはならないそうです。

もし、次のノーベル賞を狙うなら、ヒッグス粒子やグラビトンなどを研究されるとよいそうだ。

スイス国境に建設されている超巨大加速器LHCがあるが、今後本格的に稼動して、ヒッグス粒子などが発見されることを期待します。

私としては、日本もLHCを超えるものを建設してほしい。素粒子研究のみではなく、全地球上の核兵器を無効化する射程をもつ強力なニュートリノビームや素粒子を使った地球資源の調査、そして地震を抑制するためのニュートリノビーム利用などにも役に立つ装置を造り、日本の資源獲得や外交や防衛の礎になることを期待したいと思います。

images[5]


「言葉には力がある」



言葉には力があります。

消極的な言葉を数多く使う人は、

打ちのめされた人生を送り、

積極的な言葉を数多く使う人には道が開けるのです。


『光ある時を生きよ』第三章

「WITH YOU 自殺を考えたことのあるあなたへ」

http://www.withyou-hs.net/

幸福の科学 自殺防止サイトが立ちあがりました。


With you……ほんとうは、ひとりじゃないよ。

今 孤独で 苦しくて 光が見えなかったとしても

どうか 一人で悩まないで。

そんな思いで このサイト「WITH YOU」を立ち上げました。

“自殺”という結論を出してしまう前に

少しでいいので 読んでみてください。

ココロが疲れてしまったあなたに

希望の光が 灯りますように。



主な相談口がまだ整っていなかったようですが、次第に更新されているようです。

「決して愚痴を出すな」



まず、愚痴を言わないことです。

しかし、愚痴を言わないだけでは充分ではありません。

愚痴のかわりに、

心のなかに明るく建設的な種をまいていくことです。

そうすれば、

素晴らしい花が開いていきます。


『ダイナマイト思考』第五章

「日本の近代史と政治・経済(2) What is this new movement?」

meiji.jpg

明治維新とは、江戸幕府による幕藩体制から、明治政府による天皇親政体制の転換と、それに伴う一連の改革をいう。

その方針は、1868年の五箇条の御誓文で具体的に明文化されることになる。

合議体制、官民一体での国家形成、旧習の打破、世界列国と伍する実力の養成などである。そして、この目的を達するための具体的なスローガンとして「富国強兵」「殖産興業」が用いられた。

明治維新は行政制度のみならず、教育勅語などの教育・産業・金融などを含めた総合的な改革であった。

これは、短期間の内に欧米列強に比肩する国家を築き上げたことは諸外国からは奇跡と見られ、とくにアジア諸国にとって近代革命の模範となった。

1885年内閣制度が発足。この後伊藤博文の欧州での調査を経て、1889年大日本帝国憲法が発布された。明治時代は、朝鮮半島の支配権をめぐって日清、日露戦争が勃発。列強の一角を占めて、国際的地位を確保していく中で韓国併合を行った。

taisyo.jpg

大正時代は第1次世界大戦が勃発。国際連盟が設立。米騒動を契機とする大正デモクラシー政治運動により、1925年普通選挙法が成立し、政党が交互に政権を担当する政党内閣の時代を迎える。経済面では大戦特需による未曾有の好景気に沸くが、大戦終了の反動による深刻な不景気に苦しみ、そこに関東大震災が追い討ちをかけた。

syowa.jpg

昭和時代は大正期から続いた不景気から回復できずに、世界恐慌が直撃し社会不安が増大する。そして三権からの軍事独立の統帥権千犯問題から満州事変、日中戦争が勃発し泥沼化していった。イギリスやアメリカの反発を招いて国際連盟を脱退。日本は国際的に孤立してドイツ、イタリアのファシスト政権と三国同盟を結び、第2次世界大戦の突入。日本軍は米軍の物量と通商破壊作戦に圧倒され、広島・長崎に原爆が投下され、太平洋(大東亜)戦争に敗れた。

戦後はGHQの占領下で、日本国憲法が公布され、天皇は象徴とされ非独立国政策が実施された。そして米ソ冷戦は進行した。1951年日米安全保障条約が締結され冷戦下の西側陣営となる。以後、自民党の保革55年体制が続く。経済的には高度経済成長を遂げ経済大国と成った。

戦後の経済は、石油ショックなどの停滞時期もあったが、ほぼ右肩上がりの成長を実現した。企業の売上高、地価、株価は含み益が増え企業の設備投資も増加。そして給料は増え、貯蓄率は上昇した。経済成長に伴い税収は安定し財政資金は増え公共事業として地方に分配された。

1980年後半からバブル景気の中で経済的には日本は世界のトップランナーだった。製造業の国際競争力はあり円高でも輸出は減らない。企業倒産も少なく一人当たりの所得は世界有数。おまけに犯罪は少なく世界で最も安全な国と言われた。

「悪意を捨てて、愛を取れ」



「悪意を捨てて、愛を取れ」

「人を裁くな、人の裁きを受けるのが嫌なら」、

こういう言葉を座右の銘として、

日々、

精進していたリンカーンの姿は、

人々に一つの希望の原理を教えています。


『幸福の原点』第一章

「日本の近代史と政治・経済(1)」

世界の経済は既にグローバル化している。

政治も外交を重視しなければ国家運営が成り立たない。

では現代における責任を伴った自由と、高貴な精神に裏づけられた民主主義を尊重する方向に向けてどのような史実に注目すればよいのだろうか。

1853年ペリー来航により、日米和親条約などの不平等条約が結ばれ鎖国は崩れた。

その頃の幕府財政は破綻していた。

よって開国にともない尊皇攘夷の考えが強まり、半ば内乱状態になり幕府の権威は弱体化して、遂に徳川慶喜は大政奉還を行い朝廷に政権を還した。

やはり明治維新が興るところから注目したい。

明治維新と言えば色々な人物が思い浮かぶが、松下村塾を開校し、幕末・維新に活躍した多数の志士達を輩出した二十一回猛士吉田松陰(1830年-1859年)の「死を覚悟する」猛すなわち勇気と教育の数々のエピソードに意味があると考えている。

images[1]

ペリーの船でアメリカに密航しようとして下田港で捕まり、獄中で書いた家兄伯教に上る書(幽囚録付録)もそうである。

「敢(あ)えて書を上(たてまつ)って永訣(えいけつ)①を告(もう)す。

矩方向(さき)に面縛(めんばく)②して捕に就き、輿(よ)③に座して泉岳寺の前を過ぐ、

images[11]

images[8]


義士④の事を思ひ歌を作って曰(いわ)く

『かくすればかくなるものとしりながら、やむにやまれぬ大和魂』と。

蓋(けだ)し武士の道は此(ここ)に在り、

願わくは私愛の為に大義を惑はすことなくんば幸甚(こうじん)⑤なり」。

①永訣は死別
②面縛は両手を後ろ手に縛ること
③輿は囚人護送籠のこと
④義士は赤穂浪士で泉岳寺に埋葬された
⑤幸甚は何より幸せ。

「あなたの幸福と全人類の幸福を一致させよ」



あなた自身が幸福になることが、

全人類を幸福にすることと一致する限り、

希望は必ず実現する。


『青春に贈る』あとがき

「二人の政治家が追い求めた理想国家(完)」

では日本に戻り、私たちの国にはそのような人物はいないだろうか。

直に思い浮かぶ人物はやはり聖徳太子(572年-622年)である。

images[1]

「日本の名著2聖徳太子」の中村元氏(責任編集)においては、太子とアショーカ王は本質的な相違は存在しないと論じられている。

どちらも仏教を国教とした国父とも言うべき人物と評される。

聖徳太子は、「三経義疏」を著述し、法隆寺・四天王寺を建立し、冠位十二階や604年十七条憲法を制定した。

horyu.jpg

siten.jpg

十七条憲法は儒学、仏教、諸子百科の法家の影響を受け、憲法の理念は、儒教的な秩序の確立と、仏教的真理の宣明、政治の基本原理の樹立と言われる。

一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり。

四に曰わく、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。

十に曰わく、忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。

十七に曰わく、それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆(もろもろ)とよく論(あげつら)ふべし。

過去において、政治家のアショーカ王と聖徳太子は、戦時の中にあった国政への反省から、宗教的、道徳的な教化を通じて政治を行おうとする精神を発揮したのであり、徳治国家の道を切り拓いた。

聖徳太子に至っては第十七条に民主主義のルールが掲げられ、徳治主義と民主主義を融合した先駆けである。

そして現代日本のような政教分離原則ではなく、政教一致の原則が働いていて、仏教には国教の役割があった。

本来、世界宗教には国家の枠を超えた普遍的な教えがあり使命がある。

それは世界宗教が国家の規範となるということである。それが国民の幸福と国家の繁栄をもたらした。

世界は今、アメリカのパワーの衰えを感じている。アメリカ一国の覇権時代から、中国の台頭、ロシアの復活、EU、インド、中東など複数国家が覇権を競うバランス・オブ・パワーの時代、多極化の時代に戻ってくるだろう。

再び文明の衝突が起きる時代がくる。

だからこそ、世界をまとめる国家規範が必要である。

そして立ち上がるべきは、かつてGDP世界第二位だった日本国である。

いま二人の政治家が追い求めてきた理想国家を日本が実現できなければ、世界に飢餓がおとずれ、戦争を止められず、地球規模での平和や繁栄はこないと考える。

将来の世界人口が100億人を越えることが予測される今、100億人を生かすだけの豊かさを持った国家が必要なのである。

いまこそ真の独立国、自立国を目指して、維新の志士たちが3000人(当時人口5%)で明治維新を成し遂げたように、私達は愛する100億の人が幸せに暮らす、平和で繁栄した国々を創ることに挑戦しようではないか。

聖徳太子とアショーカ王のように、日本はもう一段の発展を目指して、「ユートピア価値革命」を起こそう。

ユートピア価値とは、時代や地域が変わっても変わることのない普遍的価値を実践的していく時に生じてくる価値のこと。

ユートピア価値は時代や場所、人の組み合わせによっても違ってくる。

一人ひとりが違う環境に生まれてくるということは、自由性からユートピア価値が生み出されるということ。

人生の岐路における選択の結果が運命につながる。

選択の自由には、個人的な責任が伴い、そうであるからこそ人生の軌道修正ができる。


軌道修正は反省であり、「選択の自由」の行使の結果を考えること。そして、選択が間違っていたならば、いかに修正すべきか考えること。

人類の歴史を作ってきたのは、他ならぬ私たち自身であること。

私たちの現在の心境も、私たちのまわりの環境も、文明や文化と言われるものも、全て私たちが創造してきたものであるからだ。

「潜在意識に対して方向性を定めよ」



みなさんは、

自分自身の潜在意識のなかの、

魂の機長に対して、

「自分はどの方向に向かいたいのか」ということを

常に教えておかなければいけません、

自分の目的地を、

こころの深いところにまで

落とし込んでいくことが大切です。

『繁栄の法』第四章

「二人の政治家が追い求めた理想国家(3)」

またウェーバーが仏教記述部分の中で、アショーカ王(在位:紀元前268年頃-紀元前232年頃)に注目している。

a1.jpg

そのことは後学の学者も指摘している。

アショーカ王は、全インドを統一したマウリヤ王朝の王で、領地拡大の戦争を続けていた。民衆には暴君と言われていたが、余りにも無残な戦争(カリンガ王国征服)を反省し、仏教に深く帰依したとされる。

そして、それ以降は戦争をやめ、生命を保護し、仏法によって国を治める平和国家を作ろうと決心した。

その業績は、

①執政を政治的・武力主義なものから、宗教的・平和主義に転換させた。

②王は仏教を主としながらも、あらゆる宗派を尊重し、全てに布施を行った。

③国内では各地に寺院と仏法の石碑を建てた。石碑には仏法以外にも王自身の教勅を残している。宗教と政治の関係で、この世とあの世のどちらも獲得することがいかに難しいかを強調している。

④第三回目の仏典結集し、口伝のみで伝えられた仏法を文字化して編集した。

⑤僧侶による大衆への学校教育を施し、読み書き(方言と経典語)と宗教指導(目上の人への従順、縁ある人への親切、生命への畏怖、感情の統御、心の純粋さ、感謝の心、誠実な態度)をした。

⑥王の世界伝道の熱意は、仏教僧や使節を大使として、アレクサンドリアにまで及ぶ西方のギリシャへ遣わし、セイロン島、北方インド、ビルマ、ベトナム、タイ、その他の東南アジア諸国と朝鮮にまで伝わった、である。

アショーカ王は、仏教政治を念頭におき、石碑にはこう刻まれている。

「ダルマに対する、至高の愛と、至高の自己審査と、至高の従順と、至高の敬虔と、至高の熱心がなければ、この世とあの世の両方を得ることは難しい」。

王は民族や宗派を越えた普遍的真理(ダルマ)による統一国家を目指した。

a2.jpg

「肯定的な自己像を描け」



肯定的な自己像を持ち、

「自分がもっと発展し、成功し、世の中の役に立ち、

幸福になっていくことが、まわりの人も幸福にしていく」という映像を、

常にしっかりと描きつづけることです。

たとえ否定的な想念に負けそうになっても、

勇気を起こして、

また肯定的な想念を発信しなければいけません。


『奇跡の法』第一章

「二人の政治家が追い求めた理想国家(2)」

さて、宗教を社会学として研究した人がいる。マックス・ウェーバー(1864年-1920年)は、父は政治家、母は上流階級出身の敬虔なプロテスタントの子として生まれた。

病気療養後に「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を発表し、遺作となった「職業としての政治」を講演したドイツの社会学者・経済学者である。

syo-seizi.jpg

その比較宗教社会学は、未完ながら古代ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教、原始キリスト教、カトリック、イスラム教を、自身のカルバン主義に回帰させる壮大な研究の試みである。

このカルバン(1509年-1564年)の「勤勉と倹約の生活を勧め、職業に励むことは、神の御心にかなう」という神学は、かつては神の国に入ることあたわずとされたお金持ちも、神の国に入る可能性が開け、当時の中小商工業者から多くの支持を得た。

cal.jpg


これで近代産業とキリスト教が二つの歯車のように噛み合い始め、その精神が根付いたスペイン、オランダ、イギリス、アメリカは繁栄した。

「希望実現の時期を限るな」



「実現の時期、方法はあまり限るな」。

すなわち、ドアがひとつ閉まっても違うドアが開く、

それが閉まっても次のドアが開く。

そのように思えということです。


『光ある時を生きよ』第四章

「二人の政治家が追い求めた理想国家(1)」

日本の古(いにしえ)の伝承を今日まで伝えている書物は古事記と日本書紀である。

古事記も日本書紀もいわゆる神代の時代から始まって、古事記は33代推古天皇まで、日本書紀は41代持統天皇までを扱っている。

古事記では、天地の始め高天原に天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかみむすひのかみ) ・神産巣 日神(かむむすひのかみ)の三神が現れる。

koziki.jpg

日本書紀においては、天照大神は太陽を神格化した神であり、皇室の祖神であると記されている。

nihon.jpg

時代は下り、朝鮮半島の「三国史記」新羅本紀には、173年倭の女王卑弥呼が使者を送って新羅に交流を求めた。

honki.jpg

神代の時代からは、祭政一致あるいは政教一致で国を治めたことが容易に想像される。

そして飛鳥時代に仏教が伝来し、奈良時代には仏教には国家を守護・安定させる力があるとする鎮護国家思想で内政の安定を図ろうとした。

chingo.jpg

「想念を持続する」

「想念を描いたならば、それを、一定の時間、描き続ける。」ということです。

想念の具体化には一定の時間の継続を伴なう」ということを、

よくよく心に刻んでいただきたいと思います。

『成功の法』第六章

images[3]

「浅間山のUFO?」

images[1]

浅間山のライブカメラで、

噴火後約1時間の時間帯にUFOらしきものが映っているそうです。

飛行機なのか。UFOなのか。議論は尽きないようです。

始まってすぐ、03時01分頃。

03時49分40秒頃。

http://bousai.madlabo.com/volcano/asama/maechan/html/2009020203m.html

別カメラだそうです。

3:49~50分頃のものの軌道は、途中消えの軌道。

3:56分頃の軌道は違う。

http://bousai.maechan.net/volcano/asama/maechan2/html/2009020203m.html

「仏神の心に適った成功を求めよ」

仏神の心に適った成功を求めてください。

強く願えば、必ず現象化し、現われてくるでしょう。

その願いを持ちつづけてください。

『奇跡の法』第五章

images[2]

「カラル遺跡」

801202275_214s[1]

2008/5/6の中日新聞に「カラル遺跡」の記事が出ていました。

世界四大文明をくつがえす『カラル遺跡』(caral)ということで、5000年以上前に隆盛を極めていた文明だと紹介されていました。

私たちが習った最古の文明は、

シュメール(Sumer, Shumer, Sumeria, Shinar)は、メソポタミア(現在のイラク)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。シュメールの楔形文字が使われ始めたのは紀元前3500年頃とされており、書かれた物としては最も初期のものだと思われる。

しかし、世界の色々な報道を見ていると
年代測定法で測られた10000年前までぐらいのものは、結構あるように思います。

このペルーの「カラル遺跡」も5600年前が最盛期だということだが、ペルーにはもっと古い文明があるのではないか。7000年前とか。ペルーには、10000年ぐらい前から、文明の走りがあったのではないかと容易に想像できるのではないでしょうか。

http://www.brasil.co.jp/package/gallery/caral2/gallery.html

新発見!世界四大文明をくつがえす『カラル遺跡』(caral)

 『カラル遺跡』はリマから北に200Kの中央高原にあり、今から100年前の1905年に発見されましたが、年代測定などの綿密な調査が行われなかったため、今日まで発表されませんでした。

 2001年、アメリカとペルーの合同調査団による発掘調査で『カラル遺跡』は南北アメリカ大陸で最も古い古代都市遺跡であることが確認され、さらに発見された植物の炭素年代測定した結果、最大紀元前2627年(4600年前)の物であることが判明しました。

 4600年前と言えば、エジプトに統一国家が誕生した頃と時を同じくすることになります。そうであれば『カラル遺跡』は間違いなく世界最古の文明の一つと言え、『カラル遺跡』をのけものにして世界四大文明とは言えないでしょう(世界四大文明、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河)『カラル遺跡』はペルー文明を含めた世界五大文明がたまたま同時代に起こっていたのでしょうか。

 『カラル遺跡』は、全部で32ある城壁と階段状のピラミット群が見もので、大きい物は高さ20Mぐらいあります。これらの遺跡を考古学と言う専門的ではなく、一人の旅人として古代アンデス文明の謎に迫ってみませんか?神秘なインカの世界を現代に甦らせるロマンのステージ、ペルー。

 現在、考古学者以外はまだ誰も訪れていないカラル遺跡を、今回、天野博物館の全面的な協力を得て見学できる、世界で始めてのツアーが実現しました。

BSプライムタイム  「ペルー 謎のピラミッド」  04年02月19日  後10・00~10・50  放映

 近年ペルーのある遺跡が考古学の注目を集めている。首都・リマから北へ約200キロのところにあるカラル(Caral)遺跡がそれである。ピラミッドを戴くこの都市遺跡は、近年の調査によると、エジプトのピラミッドと同時代もしくはそれよりも古い可能性があるというのだ。

 カラル遺跡自体は、以前から知られていたが、注目を浴びることはこれまでなかった。しかし近年の再調査により状況は一変する。この遺跡で出土したカゴを分析すると、今から約5,000年以上前の紀元前2,600年のものであることが分かり、さらに次々と不思議な発見が続く。海岸から30キロ以上も離れたこの地で、イワシを食べた形跡。320キロも離れた土地でしか取れないはずの植物の粉。そして至るところで見つかる綿繊維とワタの種。

 これまでは都市形成には戦争が大きな影響を与えてきたという説が有力であったが、この遺跡では戦争の跡どころか武器すらも見つからない。これらが示すものは何なのか?土器の使用も、鉄器の使用の形跡さえないこの町で は、どのような暮らしがされていたのか?この都市は、どのように形成されたのか?そして、そこに住む人々はどのような暮らしをしていたのか?番組では、遺物、生活 跡などを最新の科学技術で分析し、これらの謎を明らかにしていく。

[原 題] The Lost Pyramids of Caral [制 作] イギリス 2002年 BBC

http://www.y-asakawa.com/peru%202006/carar-1.htm

天野博物館の坂根博・学芸主任の案内でカラル(Caral)遺跡を訪ねた。リマから車でパン・アメリカン・ハイウエイを3時間ほど走ったあと、砂漠の中に入り、デコボコ道を1時間ほど走るとカラル遺跡に着く。

この遺跡は、日本ではあまり知られていないが、今から10年ほど前に発見されたもので、従来の考古学的歴史観を根底から覆す注目の遺跡である。現在ペルーの考古学者によって発掘が進められている。従来の考古学では、紀元前1000年頃に発達したしたチャビン文明がペルーにおける文明の始まりとされてきていた。現に、今でもその考えにとらわれている学者は多いようだ。

しかし、このカラル遺跡はそれより遙かに古く、紀元前2600~2800年 頃の遺跡である。さらに驚くのは、周辺の砂漠一帯に広がる広大な都市跡からは、9つのピラミッド群が発見されており、それらのピラミッドには石が使われていることである。この点もまた、従来のペルーの歴史観を根底から覆すものであった。というのは、これまで発見されているピラミッドは、それより3000年も後の時代、紀元後100~500年頃に栄えたモチーカ文明やナスカ文明のもので、それらのピラミットは日干しレンガを積み重ねて造られているからある。

カラル遺跡のピラミッドに使われている石は、エジプトの三大ピラミットやマヤのピラミット群のような長方形に刻まれた大きな石ではないが、それでも個々の石の大きさは4~50センチはあり、ピラミットの四面体の角 などには、1メートルを超す大きな石も使われている。中でもカラル遺跡最大のピラミットの一角には2メートル近い巨石が使われている。ピラミットに限らず巨大な建造物を丈夫で長持ちさせるには、「日干しレンガ」と「石」とどちらが適しているかといえば、言うまでもなく後者に決まっている。だから石で作るに越したことはないのだが、石の建造物を造るには切り出した大量の重い石を建造現場に運ぶ作業、それらを正確かつ頑丈に積み上げている技術が不可欠である。そう考えると、構造、耐震性に優れた石のピラミッドの方が、レンガ造りのそれに比べて遙かに高度の技術が求められることは間違いない。

だからこれまでの考古学の常識からすると、石を使ったカラル遺跡と日干し レンガのモチーカ遺跡やカワチ遺跡では、当然カラル遺跡の方が新しい時代(後代)の建造物ということになってくる。ところが、カラル遺跡の実態が明らかになるにつれ、その考えが根底から覆されることになったのだ。それは、石を詰めた「シクラ」と呼ばれるアシなどの植物繊維で作られた袋状のネットが発見され、その年代鑑定からカラル遺跡がモチーカやカワチ遺跡に比べて3000年も古いことが確かめられたからである。だから今でもペルーの考古学者たちは、この逆転現象が説明できずにとまどっており、中にはカラル遺跡の年代に疑問を抱いている学者もいるのだ。

紀元前2000年から3000年代の大型の石造建造物といえば、メソポタミアのジグラットやエジプトのピラミット群を思い出す。しかし、三大ピラミットは私が主張するように失われた先史文明の遺物痕跡だとすると、他のピラミッドは紀元前2000年代以降の建造物ということになってくる。マヤのピラミッドも現在までに発見されているいるものは、どれも紀元後のものである。そう考えると、カラル遺跡に散在するピラミット群は我々の知る歴史観からすると史上最初にして最大のピラミットということになり、その都市の大きさからして世界的な大発見として評価されてしかるべきものとなってくる。

この遺跡の今一つの注目点は、近くに流れているスベ河は小さな流れで、決して大河ではないという点である。我々が教えられてきた歴史では、世界の4大文明、つまりエジプト、インダス、メソポタミア、中国の歴史はすべてナイル、インダス、チグリス・ユーフラテス、黄河といった大河のほとりに発生したとされてきた。ところが、4大文明と並ぶと思われれるこの都市周辺にはそんな大河は流れていないのである。

ということは、従来の文明発生の歴史観を変えなければならなくなってくる。それゆえに多くの考古学者が注目していながらも、未だにその年代や都市の大きさに疑念を抱いているのである。

http://www.ailab7.com:80/choukodai.html

はじめに  超古代文明は海底に眠る

二〇〇二年一月一七日、大きな見出しが読売・毎日・東京・日本経済新聞などを飾った。

「インド西部世界最古の都市発見 九五〇〇年前の遺跡と測定 政府発表」

ご覧になった方も多いと思うが、主な内容はこうだ。

「発表したのはインドのジヨシ科学技術相で、インド西部グジャラート沖のカンベイ湾海底で九五〇〇年前のものと見られる古代都市の遺跡が見つかった。発見されたのはつぼの破片、人骨の化石、建築に使われていたと見られる資材などで、木片の年代測定から紀元前七五〇〇年前(今から九五〇〇年前)ごろのものと判明した」

文明は、今から五〇〇〇年前に、世界の大河のほとりに同時発生的に生まれた、と私たちは学校で教わっている。それよりはるか昔の二倍も古い時代に文明の代名詞ともいうべき都市があったなどとは、考えられない。しかも海の底に・・・。この新聞記事は全くまちがいないのだろうか?

実はそうではない。単に、現在の歴史学という学間の枠から見ているために判定不能であるにすぎない。目を転じて自然科学の観点から見ると、ひとつの明確な解答が出ているのである。

「数千年より前の大規模な遺跡というのは、今は海底にある。海面変動で沈んでいるからだ」(奈須紀幸・元東京大学海洋研究所所長の言葉本文七三ぺー-ジより)

すなわち、九五〇〇年前の遺跡なら、海面下にあって当然なのである。この点をもう少し詳しく説明しよう。

 自然科学、とくに、古気候学、海洋学、地質学によれば、四大文明発生からはるかにさかのぼる、今から二万~数千年前に、地球は実に一〇〇~一二〇メートルに及ぶ、きわめて急激かつ大規模な海面上昇に遭遇したことが、藤井昭二・富山大学名誉教授らはじめ、世界の自然科学者たちの研究によって明らかになっている。現在、四大文明と呼ばれているものは、その大規模な海面上昇の終息するころ、たまたま現在の陸地にある大河のほとりに生まれたものに過ぎない。それよりも古い文明すなわち「超古代文明」は、今では、海面下に沈んでいる。こう考えるのである。インドのカンベイ湾の海底遺跡と同じく約一万年前と計測されたわが国沖縄の与那国海底遺跡ひとつを見ても、海面下二〇~四〇メートルにあるが、木村政昭・琉球大学教授を中心とする琉球大学海底調査団による二〇〇二年の最新の調査では、南側に都市状集落の他、道路も確認された。これは、当然のことなのである。

今や、歴史学は、新しい段階に入った。世界各地から、時々報道される「謎の海底遺跡」は、UFO(未確認飛行物体)とは違って、むしろ、ほとんどが本物と考えたほうがまちがいがない。科学が強力に保証しているからである。

注目すべきは、深さ一〇〇メートルまでの大陸棚である(しかも川跡のある)。本文で紹介するように、インドのカンベイ湾の遺跡には、当時の川跡に沿って九キロにわたる市街地跡があるし、英仏海峡には、海面下六〇メートル付近に古ヨーロツパ河と巨大な湖があった。米国フロリダ沖の古オーシラ川から一万三〇〇〇年前の一六〇〇点もの遺物が発見されている。

二一世紀は、四大文明をさらにさかのぼる「超古代文明」を大陸棚に探る「大陸棚考古学(海底考古学)」の時代になるであろう。

          「海に沈んだ超古代文明」講談社クォーク編集部・編より

「希望実現を確信せよ」



いちばん大事なことは何かというと、

実現を確信するということです。

確信する、すなわち信念の部分です。

確信できるかどうかで違ってくるのです。

『繁栄の法則』第四章

 BLOG TOP 

プロフィール

パラジウムの錬金術師

Author:パラジウムの錬金術師
(^-^)v
このブログは個人ブログです。

幸福の科学とは直接関係がありません。

FC2ブログへようこそ!

最新コメント

最新記事

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。